
歯科矯正を考えている際に、「手術が必要」と言われたら不安になるのは当然のことです。
特に全身麻酔を伴う顎矯正手術では、まれではあるものの死亡事故のリスクがゼロではないという情報を目にして、手術を受けるべきか迷っている方も多いのではないでしょうか。
本記事では、歯科矯正手術に伴う死亡リスクについて、統計データや主な原因、医療機関が行っている安全対策、そして患者自身が確認すべきポイントまで、客観的なデータに基づいて詳しく解説します。
歯科矯正手術における死亡リスクは極めて低い

結論から申し上げると、歯科矯正手術における死亡リスクは極めて低いものの、ゼロではありません。
具体的な数値として、韓国で2000年から2016年にかけて報告された顎矯正手術関連の死亡率は約0.005%(約2万件に1件程度)とされています。
日本における全身麻酔手術全体の死亡率は、日本麻酔科学会の2005年の報告によると0.006%とされており、そのうち麻酔管理が直接的な原因となったケースは0.001%と報告されています。
これらの数字が示すのは、現代医療の高度な安全管理体制のもとでは、死亡事故は非常にまれであるという事実です。
ただし、どんなに確率が低くても、リスクを正しく理解した上で手術を受けるかどうかを判断することが重要と言えます。
なぜ歯科矯正手術に死亡リスクが存在するのか

外科矯正手術の特殊性
まず、歯科矯正手術とは一般的に「外科矯正」または「顎矯正手術」と呼ばれる処置を指します。
これは矯正装置だけでは治療できない骨格性の不正咬合に対して行われる手術であり、顎の骨自体を切って移動させる大がかりな外科処置です。
代表的な術式には、上顎骨を切り離して移動させるLe Fort I型(ルフォーⅠ型)骨切り術や、下顎骨を分割して位置を調整するSSRO(下顎枝矢状分割法)などがあります。
これらは全身麻酔下で数時間にわたって行われるため、一般的な歯科治療とは全く異なる医療行為と言えます。
全身麻酔に伴うリスク
顎矯正手術では全身麻酔が必須となります。
全身麻酔自体にも、まれではあるものの一定のリスクが存在します。
洛和会音羽病院の解説によると、全身麻酔による死亡事故の確率は0.06%(6000件に1件)とされていますが、これは報告によって対象や定義が異なるため、前述の日本麻酔科学会のデータとは数値に差が見られます。
いずれにしても、現代の麻酔技術は非常に安全性が高いものの、完全にリスクを排除することはできないという点を理解しておく必要があります。
手術の複雑性と解剖学的リスク
顎骨周辺には重要な血管や神経が複雑に走行しています。
特に注意が必要なのは、舌下動脈やオトガイ下動脈などの血管です。
手術中にこれらの血管を損傷すると、大量出血や術後の腫れによる気道閉塞などが発生する可能性があります。
また、顎骨を移動させることで一時的に舌の位置が変わり、気道が圧迫されるリスクも考慮する必要があります。
術後管理における課題
m3.comで紹介された症例では、骨格性不正咬合の手術後、術中に特に合併症がなく経過も順調だったにもかかわらず、術後5日目の朝に心肺停止で発見されたケースが報告されています。
このように、手術自体が成功しても、術後の全身管理が不十分だと予期せぬ合併症が発生する可能性があります。
血栓症や肺塞栓症などの全身合併症は、術後数日経過してから突然発症することもあるため、継続的な観察が必要です。
既往歴や全身状態の影響
患者自身の持病も重要なリスク要因となります。
具体的には、心疾患、呼吸器疾患、糖尿病、高血圧、睡眠時無呼吸症候群などがある場合、手術や麻酔に伴うリスクが高まる可能性があります。
また、喫煙習慣や肥満なども、術後の回復に影響を与える要因として知られています。
死亡に至る主な原因の具体例

大量出血による死亡例
歯科手術における死亡事故として最もよく知られているのは、2007年に東京都中央区八重洲の歯科医院で発生したインプラント手術中の事故です。
この事故では、70歳の女性患者がインプラント手術中に大量出血を起こし、窒息によって死亡しました。
原因は、CTで血管走行を十分に確認せずに下顎骨を貫通してしまい、舌下動脈などを損傷したことにあると説明されています。
この事例は、術前の画像診断の重要性と、解剖学的知識に基づいた慎重な手術の必要性を示す教訓として、現在も多くの歯科関連サイトで引用されています。
顎矯正手術においても、骨を切る際に周辺の血管を損傷するリスクは常に存在するため、術前のCT検査による血管走行の確認が極めて重要となります。
術後の窒息や呼吸障害による事例
韓国での顎手術関連死亡例の報告(2000年1月〜2016年3月)によると、14例の死亡事故のうち顎矯正手術(OGS)が4例含まれており、その死因には出血、窒息、呼吸混乱、麻酔関連、原因不明などが含まれるとされています。
特に窒息は、術後の腫れや出血が気道を圧迫することで発生します。
顎矯正手術では顎骨の位置が変わるため、舌の位置も変化し、それが気道閉塞の原因となることもあります。
さらに、術後は顎を固定するため、緊急時に口を十分に開けられないことも、窒息リスクを高める要因となります。
術後の全身合併症による突然死
前述のm3.comの症例のように、術中・術直後は問題なく経過していても、数日後に突然死亡するケースも報告されています。
このような事例では、血栓症や肺塞栓症などの全身合併症が原因となっている可能性が指摘されています。
長時間の手術や術後の安静により血液の流れが滞ると、下肢の静脈などに血栓ができることがあります。
この血栓が肺の血管に詰まると肺塞栓症を起こし、急激な呼吸困難や心停止に至ることがあります。
このような合併症は予測が難しく、術後数日間の慎重な観察が必要な理由の一つとなっています。
麻酔関連の合併症
全身麻酔に使用される薬剤に対するアレルギー反応や、不整脈、血圧の急激な変動なども、まれではありますが死亡につながる可能性があります。
日本麻酔科学会の報告では、麻酔管理が直接原因となった死亡率は0.001%とされており、現代の麻酔技術と監視体制は非常に高度に発達しています。
しかし、患者の体質や既往歴によっては、予期せぬ反応が起こる可能性も完全には否定できません。
医療機関が行っている安全対策

術前の徹底した検査と評価
まず、リスクを最小限に抑えるために最も重要なのが術前検査です。
具体的には、以下のような検査が行われます。
- CT検査:顎骨の形態だけでなく、周辺の血管走行を立体的に把握します
- 心電図検査:心臓の機能に異常がないか確認します
- 血液検査:凝固機能や肝機能、腎機能などを評価します
- 既往歴の詳細な聴取:過去の病気や現在服用中の薬剤を確認します
- 呼吸機能検査:必要に応じて、肺の機能を評価します
これらの検査結果に基づいて、手術のリスクを総合的に評価し、患者に適した手術計画が立てられます。
麻酔専門医による管理体制
全身麻酔を安全に行うためには、麻酔科専門医の存在が不可欠です。
麻酔科専門医は、麻酔薬の投与量の調整だけでなく、術中の患者の全身状態を継続的に監視し、異常が発生した際には迅速に対応します。
手術中は、心電図、血圧、酸素飽和度、呼気中の二酸化炭素濃度など、複数のモニターを同時に監視することで、わずかな異常も見逃さない体制が整えられています。
出血管理と緊急対応体制
顎矯正手術では、一定量の出血は避けられませんが、大量出血に備えた準備も重要です。
具体的には以下のような対策が取られています。
- 十分な輸血用血液の確保
- 電気メスや止血剤などの止血手段の準備
- 緊急時に迅速に対応できる手術チームの編成
- ICU(集中治療室)などの術後管理設備の整備
また、経験豊富な口腔外科医であれば、血管の走行を熟知しているため、血管損傷のリスクを最小限に抑えることができます。
術後管理とモニタリング
術後数日間は、特に注意深い観察が必要な期間です。
具体的には、以下のような管理が行われます。
- バイタルサイン(血圧、脈拍、体温、呼吸数)の頻回測定
- 酸素飽和度の継続的モニタリング
- 出血や腫れの状態の確認
- 疼痛管理
- 栄養管理(術後は流動食から開始)
特に術後1〜3日間は、呼吸状態の変化や突然の容態悪化に備えて、病棟スタッフによる定期的な巡回が行われます。
インフォームドコンセントの徹底
近年、顎矯正手術を行う医療機関では、リスク情報の開示とインフォームドコンセント(十分な説明に基づく同意)の重要性が強調されています。
手術前には、以下のような内容について詳細な説明が行われるべきです。
- 手術の目的と期待される効果
- 手術の方法と手順
- 想定される合併症とそのリスク
- 死亡リスクを含めた重大な副作用の可能性
- 術後の経過と注意点
- 手術を行わなかった場合の選択肢
一部の医療機関では、公式ウェブサイトで「水面下では死亡事故の報告もある」「過去に命を落とした方もいる」と明記し、リスクを隠さずに伝える姿勢を示しています。
患者自身が確認すべき重要ポイント
医療機関の実績と体制の確認
顎矯正手術を受ける医療機関を選ぶ際には、以下の点を確認することが重要です。
- 年間症例数:顎矯正手術を年間何件行っているか
- 執刀医の経験:口腔外科専門医の資格を持っているか、顎矯正手術の経験は豊富か
- 麻酔科専門医の有無:常勤の麻酔科専門医がいるか
- 緊急対応設備:ICUや緊急手術に対応できる設備があるか
- 合併症への対応実績:過去の合併症例とその対応について説明してもらえるか
症例数が多い医療機関は、それだけ経験が蓄積されており、予期せぬトラブルにも迅速に対応できる可能性が高いと言えます。
自身の健康状態の正確な申告
患者側の責任として最も重要なのは、自身の健康状態を正確に医療機関に伝えることです。
特に以下の情報は必ず申告してください。
- 既往歴(過去にかかった病気、特に心臓病、呼吸器疾患、糖尿病など)
- 現在服用中の薬剤(処方薬だけでなく、サプリメントや漢方薬も含む)
- アレルギー歴(薬剤、食品、ラテックスなど)
- 過去の手術歴と麻酔の経験
- 喫煙習慣や飲酒習慣
- 睡眠時無呼吸症候群の有無
- 妊娠の可能性(女性の場合)
これらの情報を隠したり、忘れて伝えなかったりすると、適切なリスク評価ができず、予期せぬ合併症が発生する可能性が高まります。
術前説明での質問事項
術前の説明を受ける際には、遠慮せずに以下のような質問をすることが重要です。
- 「私の場合、具体的にどのような手術になりますか?」
- 「想定される合併症にはどのようなものがありますか?」
- 「死亡リスクは私の場合どのくらいですか?」
- 「合併症が起きた場合、どのような対応をしてもらえますか?」
- 「術後はどのくらいの期間、入院が必要ですか?」
- 「退院後、どのような症状が出たら緊急で連絡すべきですか?」
これらの質問に対して、明確で丁寧な説明をしてくれる医師であれば、信頼できると考えてよいでしょう。
セカンドオピニオンの活用
顎矯正手術は一生に一度の大きな決断です。
一つの医療機関だけでなく、複数の専門医の意見を聞くことも検討してください。
セカンドオピニオンを求めることで、以下のメリットがあります。
- 別の治療法の可能性を知ることができる
- 手術のリスクについて複数の視点から理解できる
- より納得した状態で治療方針を決定できる
- 医師との相性を比較できる
セカンドオピニオンを求めることは、決して最初の医師に失礼なことではありません。
むしろ、真摯に患者と向き合う医師であれば、セカンドオピニオンを推奨してくれるはずです。
歯科矯正手術における死亡リスクの正しい理解
本記事で解説してきたように、歯科矯正手術(顎矯正手術)における死亡リスクは極めて低いものの、ゼロではありません。
韓国のデータでは約0.005%(約2万件に1件)、日本の全身麻酔手術全体では0.006%程度の死亡率とされています。
死亡に至る主な原因としては、大量出血、窒息、呼吸障害、全身麻酔の合併症、術後の血栓症などが挙げられます。
しかし、現代の医療機関では、術前の徹底した検査、麻酔専門医による管理、緊急対応体制の整備、術後の慎重な観察など、多層的な安全対策が講じられています。
患者側としても、信頼できる医療機関を選び、自身の健康状態を正確に伝え、疑問点は遠慮なく質問することで、リスクをさらに低減することができます。
統計的に見れば、顎矯正手術のリスクは交通事故や日常生活での事故と比較しても非常に低いレベルにあります。
しかし、どんなに確率が低くても、リスクが存在することは事実であり、そのリスクを正しく理解した上で治療を受けるかどうかを判断することが何より重要です。
納得できる選択をするために
顎矯正手術は、骨格性の不正咬合を根本的に改善し、噛み合わせの機能を回復させるだけでなく、顔貌のバランスを整える効果もあります。
多くの患者さんが、手術によって長年の悩みから解放され、生活の質が大きく向上したと感じています。
一方で、全身麻酔下で行う大がかりな手術である以上、一定のリスクが伴うことも事実です。
重要なのは、メリットとリスクの両方を冷静に理解し、自分自身が納得できる選択をすることです。
手術について不安がある場合は、遠慮なく医師に相談してください。
信頼できる医師であれば、あなたの不安に寄り添い、十分な時間をかけて説明してくれるはずです。
また、家族や信頼できる人と相談しながら、じっくりと決断することも大切です。
正しい知識と情報に基づいて、あなた自身が心から納得できる選択をしてください。
そして、もし手術を受けると決めたなら、医療チームを信頼し、術前の準備や術後の注意事項をしっかりと守ることで、最良の結果を得られるよう前向きに取り組んでいきましょう。